たまに思い出してください

映画、声優の覚書。

『葛城事件』感想

あらすじ

親が始めた金物屋を引き継いだ葛城清は、美しい妻との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた。
思い描いた理想の家庭を作れたはずだった。しかし、清の思いの強さは、気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる。
長男・保は、幼い頃から従順でよくできた子供だったが、
対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。
堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔は、ことあるごとに清にそれを責められ、理不尽な思いを募らせている。
清に言動を抑圧され、思考停止のまま過ごしていた妻・伸子は、ある日、清への不満が爆発してしまい、
稔を連れて家出する。そして、迎えた家族の修羅場・・・。葛城家は一気に崩壊へと向っていく-

(引用元)

https://www.amazon.co.jp/dp/B01M4I912A/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_wMzJAbESJ0296 

 

他のブログでしんどいしんどい言われてましたが、私は家族模様に関しては対岸の火事という感じで、身近に迫る怖さはなかったですね。劇場で見たらまた違ったかもしれません。コンビニでバイトしていた時、こういうおっさんたまにいるなあ、という感じで、まさに他人事。

主人公については良い記事が沢山あるので書くこと特にないです。あと結婚相手の家族は見ておかないとなって思いました。

この感想だけ見ると清擁護しすぎ!って感じなので、他のレビューで補完しないと成立しない感じです。

葛城一家についてはこちらの感想が鋭いです。

『葛城事件』家族という地獄にようこそ(映画ネタバレなし感想+ネタバレレビュー) https://kagehinata-movie.com/katsuragi-jiken/

 

私は順子がとにかく嫌いで、彼女を追求する感想があまりなかったので覚え書きです。

事件の加害者の父親・清は絶対に関わりたくないですし、いいとは言えない父親でしたが、だからと言って全然関係のない人間が家に落書きをしたり、加害者家族にリンチしたり、スナックで「どのツラ下げて…」みたいなこと言っていいものじゃありません。順子も本質的に違いがないと私は思っています。

清も稔もクズだけど、あんな女に心を動かされるようなら、あんな事件を起こしてはいけないとすら思います。してはいけないのは大前提なのですが。人を殺しておいてそんな言葉に絆されるなよ、みたいな思いで見てました。

死刑制度反対、人は変われる、人間に絶望したくないというのを繰り返しますが、私が稔だったら、バカじゃねーの、って言って追い返しますわ。

実際の事件がモチーフだそうで、彼女もモデルがいるようですが、各事件の概要しか調べてないので、あくまでこの作中の星野順子の批判であり、婚姻を結んだこと自体の批判ではないと断りをいれておきます。

星野順子は彼が殺人犯で死刑囚だから結婚して、人に絶望したくないから愛したいし、愛されたいという。だが彼女は稔を愛す努力を微塵もしないし、いつまでも「星野順子」と名乗る。愛して家族になりたいなら「葛城順子」になるべきです。夫婦なんだから順子でいいでしょ、という稔の言葉は全く聞き入れていない。結局望みの差し入れをするシーンもない。スナックで転ぶ清の心配をして見せる素振りすらない。正直何がしたいのかわからない。それは家族を捨ててまですることだったのか?

最後まで「死刑囚の葛城稔」しか見ていないし、その家族と向き合うことをしない。義父の食事の世話くらいしてみたらどうなんだと思ってしまいます。彼女は正義感溢れる一般市民によって足が不自由になった清に何も思わないんでしょうか。あの清のどうしようもなさを見せつけられてなおそう思ってしまうのに、順子の反応は薄い。おそらく「死刑制度廃止を訴える活動をする私」のプランに加害者遺族を慮るという項目はないのでしょう。それは野次馬と何も変わらないのに、彼女自身その傲慢に気づかないまま生きていくというのが、私としては一番胸糞悪いです。

 

清が「死刑制度を容認する国民全員が息子を殺す」と言いますが、そんなこと言われたくらいじゃ反対する気になりません。でも、順子のどの言葉よりも胸に響きます。

 

以下ネタバレなど。

 

稔が通り魔を決行するシーンについて。

私は道を歩く時、赤信号で車が止まらないかもしれない。すれ違いざまに急に走り出した人に刺されるかもしれない。みたいなことを常日頃から警戒して生きてるんですけど、それでもとっさに行動できるかはなってみないとわかりませんね。

最初の、エスカレータの速度によっては最初の被害者になってたかもしれない、というのは怖いです。私はビビって咄嗟に逆走したかもしれないし、そうしたら気づかれてしまうから、下りきった時に即上に行く階段を登るかなあとか。いろんなテロ事件を見て、野次馬は命取りだなあとは思うのですが、やっぱり野次馬しちゃうかなあと考えたりします。地下道では、足がもつれてうまく走れないかもしれない、追いつかれたら刺されるのを防ぐのも取り押えるのも無理そう、みたいな。サバイバルナイフって大きいですね。通販で購入したシーンのナイフの大きさが恐怖を誘います。あんな引きこもりでも、性差で力負けしてしまうと思うとどうしようもなく悔しいです。刺された人たちくらいの距離だったら、咄嗟に走れる自信もないです。隣を歩く人がナイフを持ってるなんて、気づかないと思います。

このシーンもそうですが、そういうことを考えてしまうほど生々しい描写は映画全編に渡っていて、素晴らしいの一言です。

 

ラストについて。

「死刑囚になったら結婚してくれるのか」っていうセリフに、順子はただ逆上して清を罵倒する。それは、そう考える人間もいるという事実に目を向けるべきで、稔だってガラスも監視もなければそれ以上に彼女の脅威たりうる自覚が薄く、ここで清を「あなた人間ですか!」と罵倒するようじゃ順子は永遠にガラス越しでしか稔に向き合えないのだと知るべきでした。動物園の檻を隔てて猛獣を可愛いということと何も変わりません。同じ檻に入って、ライオンを可愛いなんて言えないと、そういうことだと思います。

結局順子のしたことは、踏み込み過ぎた野次馬、ただそれだけです。

 

葛城清はどうしようもないやつで、現実では私がいちっばん嫌いな男です。

それでも、家族のために手に入れた一軒家と、子供達が立派に実るように願って蜜柑を植えたのは、父としての純粋な思いなことに違いなく、その蜜柑の木で自殺に失敗し、誰も帰ってこないひとりぼっちの城で生きていく彼の深い絶望は同情を誘います。父親として失格だからこそ、このラストが重いです。

首を吊っている時の、何の変哲も無い角の一軒家として映されるカットは切なく、素晴らしいです。もし自殺に成功していたら、順子は何かに気づいたかもしれない、と思うのですが、これは清の物語だから、彼は生きていかなくてはならなかったのだと思います。ラストシーンは、どうなるのか絶えず考えましたが、終わってみると、清に相応しい結末はこれしかないと思わせます。